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きゅうみょうおうざんこんごういん
1棟
市指定/建造物
昭和51年5月7日
湯沢市相川字外ノ目21番地
個人
江戸時代 天保十年(1839)
木造 平屋建 寄棟造 茅葺 延床面積253.14平方メートル
この建物は、茅葺(かやぶき)の大屋根が特徴で、天保(てんぽう)十年(1839)に同じ村の大工初五郎(はつごろう)によって建てられた。基礎は石積で築かれ、腰回りを板張りにし、外壁を真壁とする。ケヤキ材、寄棟の直屋(すごや)で、修験(しゅげん)道場と住居部分からなる。
妙応山金剛院は、もと妙応山普徳寺(ふとくじ)と称する天台宗の寺院で、戦国時代には鮎川(相川)城主小笠原能登守(おがさわらのとのかみ)の祈願所であった。のち、小笠原家臣高橋源吾(たかはしげんご)が出家して普徳寺に住し、清賀(せいが)坊秀永(しゅうえい)と号し、修験に改宗して妙応山金剛院とした。明治3年(1870)、神仏分離令により、金岡千座(かなおかちぐら)に改名し神道となる。
当地の修験史を知る上でも、貴重な建造物である。