本文
さたけよしすみしょうぞう
1幅
市指定/絵画
昭和44年12月19日
湯沢市佐竹町1番1号
湯沢市
江戸時代
縦106センチメートル 横54.5センチメートル 絹本著色
佐竹義處は秋田藩二代藩主義隆(よしたか)の子として、寛永(かんえい)十四年(1637)八月二十一日に生まれた。寛文(かんぶん)十二年(1672)、家督を継ぎ三代藩主となり、元禄(げんろく)十六年(1703)、横手にて没した。財政危機打開のため職制改革や産業振興を図った。元禄十年(1697)には「佐竹家譜」の編纂(へんさん)を目的に旧記取纏文書改奉行(きゅうきとりまとめもんじょあらためぶぎょう)制と記録所をつくり岡本元朝(おかもとげんちょう)をその任にあてた。これが宝永(ほうえい)六年(1709)の藩文書所(のちの秋田史館)の設置や、常陸(ひたち)時代の史料収集と整理に結びついた。
強装束(こわそうぞく)で上げ畳に座すその相貌(そうぼう)は、歴代中67歳の最長寿であった義處公の、生き生きとして迫真の偉容を示している。