本文
1.阿弥陀如来
2.千手観音菩薩
3.薬師如来
かけぼとけ
3面
県指定/彫刻
昭和30年1月24日
個人
室町時代 大永七年(1527)
3面とも直径31.3センチメートル 厚さ1.9センチメートル
この懸仏3面は、薄銅板製で鍍金(ときん)をほどこし、周縁に宝相華(ほうそうげ)12花をあしらい、左右に花瓶を配置し獅子咬(か)みの鐶(かん)を付す。3面ともに本尊の左右に「大永(だいえい)五年乙酉(きのととり)月日 稲庭上野守道俊(いなにわこうずけのかみみちとし)」と刻銘がある。また裏面には「奉懸稲庭小沢(こざわ)熊野宮 別堂(梵字(ぼんじ)・キリーク)本宮(ほんぐう) 長楽寺(ちょうらくじ) 大永七年丁亥(ひのとい)五月三日 上野守藤原(ふじわら)道俊朝臣□」「白沢(しらさわ) 奉懸稲庭小沢熊野山 別堂(梵字・サ)那智(なち) 長楽寺 大永七年丁亥五月三日上野守道俊」「鍛冶屋敷(かじやしき) □懸稲庭小沢熊野宮 別堂(梵字・バイ)新宮(じんぐう) 長楽寺 大永七年丁亥五月三日上野守道俊」とそれぞれ墨書銘を持つ。
大永五年(1525)の刻銘と大永七年(1527)の墨書銘から、大永五年に制作し、大永七年に奉納したと考えられ、小野寺(おのでら)道俊がこの頃に稲庭小野寺家を継いだと見られる。
銘文から、それぞれが本宮・那智・新宮になぞらえた小沢・白沢・鍛冶屋敷の社(やしろ)に奉懸され、この地に熊野三山信仰が伝えられたことを物語っており、宗教的権威を通じて支配基盤を強化する中世の地方豪族の姿がうかがえる。
3面の懸仏は、奉納時とほぼ同じ場所にあり、それぞれの地域で例祭時に社殿に移し参拝されている。
※□は不明文字