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木造不動明王像及び二童子立像

印刷用ページを表示する 更新日:2020年9月25日更新

木造不動明王像の写真
木造不動明王像

二童子立像(制咤迦童子)の画像
二童子立像(制咤迦童子)

二童子立像(矜羯羅童子)の画像
二童子立像(矜羯羅童子)

よみがな

 もくぞうふどうみょうおうぞうおよびにどうじりゅうぞう

員数

 3躯

指定/種別

 市指定/彫刻

指定年月日

 昭和46年3月15日

所在地

 湯沢市吹張一丁目8番45号

所有者

 湯仙寺

時代・年代

 桃山時代(16世紀)

概要

  • 木造不動明王像 寄木造 玉眼 彩色 像高80.6センチメートル
  • 二童子立像(制咤迦童子) 寄木造 玉眼 彩色 像高39.2センチメートル
  • 二童子立像(矜羯羅童子) 寄木造 玉眼 彩色 像高35.6センチメートル

 不動明王は、巻き髪で左目を眇(すが)め、牙を左右で上下出する。厳しい表情や体躯(たいく)の充実した肉付け等、のびやかな彫刻技術で、裳(も)の団花文(だんかもん)など、彩色仕上げも入念で、優れた仏師の手によるものと見られる。制咤迦童子(せいたかどうじ)は全身に赤色の彩色が施され、矜羯羅童子(こんがらどうじ)は両手で蓮華を執る。
 湯仙寺(とうせんじ)は、慶長(けいちょう)八年(1603)、佐竹南家(さたけみなみけ)の祈祷所として浄海上人(じょうかいしょうにん)が開山した。以来、羽黒山宝善院(ほうぜんいん)の末寺としてきたが、明治時代初期に比叡山延暦寺(えんりゃくじ)の傘下となった。