本文
木造不動明王像
二童子立像(制咤迦童子)
二童子立像(矜羯羅童子)
もくぞうふどうみょうおうぞうおよびにどうじりゅうぞう
3躯
市指定/彫刻
昭和46年3月15日
湯沢市吹張一丁目8番45号
湯仙寺
桃山時代(16世紀)
不動明王は、巻き髪で左目を眇(すが)め、牙を左右で上下出する。厳しい表情や体躯(たいく)の充実した肉付け等、のびやかな彫刻技術で、裳(も)の団花文(だんかもん)など、彩色仕上げも入念で、優れた仏師の手によるものと見られる。制咤迦童子(せいたかどうじ)は全身に赤色の彩色が施され、矜羯羅童子(こんがらどうじ)は両手で蓮華を執る。
湯仙寺(とうせんじ)は、慶長(けいちょう)八年(1603)、佐竹南家(さたけみなみけ)の祈祷所として浄海上人(じょうかいしょうにん)が開山した。以来、羽黒山宝善院(ほうぜんいん)の末寺としてきたが、明治時代初期に比叡山延暦寺(えんりゃくじ)の傘下となった。