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佐竹義睦拝領の鉢

印刷用ページを表示する 更新日:2020年9月25日更新

佐竹義睦拝領の鉢の写真1

佐竹義睦拝領の鉢の写真2

佐竹義睦拝領の鉢の写真3

よみがな

 さたけよしちかはいりょうのはち

員数

 1双

指定/種別

 市指定/工芸

指定年月日

 昭和48年2月12日

所在地

 湯沢市下関

所有者

 個人

時代・年代

 江戸時代

概要

 直径22.3センチメートル 高さ13.7センチメートル 厚さ1センチメートル

 鉢の口縁は八角形で、波型に縁どり、胴には草花模様を施す。丸底に四角い台を取り付け、台底には切り込み模様を施す。
 箱書きには、「嘉永(かえい)六年(1853)、秋田藩十一代藩主佐竹義睦が、佐竹壱岐守家義純(いきのかみけよしずみ)を訪問した際に与えたものであること、大事な宝であるので父の命により仲秋の日に君岳(くんがく)が記した」とある。
 「君岳」とは、相馬益胤(そうまますたね)の三男で義純の嗣(し)となり、のちに宗家を継ぎ十二代藩主となる佐竹義堯(よしたか)である。その後、壱岐守家は、義堯の実弟義ずま(よしずま)が継ぎ、同じく相馬家から入った義理(よしさと)がその嗣となり、明治3年(1870)に岩崎藩知事となる。
 この鉢は、義理が明治4年(1871)、廃藩置県により藩知事を解かれ、当地を去るにあたり下関(しもせき)村肝煎(きもいり)に与えたものといわれる。