本文
さたけよしちかはいりょうのはち
1双
市指定/工芸
昭和48年2月12日
湯沢市下関
個人
江戸時代
直径22.3センチメートル 高さ13.7センチメートル 厚さ1センチメートル
鉢の口縁は八角形で、波型に縁どり、胴には草花模様を施す。丸底に四角い台を取り付け、台底には切り込み模様を施す。
箱書きには、「嘉永(かえい)六年(1853)、秋田藩十一代藩主佐竹義睦が、佐竹壱岐守家義純(いきのかみけよしずみ)を訪問した際に与えたものであること、大事な宝であるので父の命により仲秋の日に君岳(くんがく)が記した」とある。
「君岳」とは、相馬益胤(そうまますたね)の三男で義純の嗣(し)となり、のちに宗家を継ぎ十二代藩主となる佐竹義堯(よしたか)である。その後、壱岐守家は、義堯の実弟義ずま(よしずま)が継ぎ、同じく相馬家から入った義理(よしさと)がその嗣となり、明治3年(1870)に岩崎藩知事となる。
この鉢は、義理が明治4年(1871)、廃藩置県により藩知事を解かれ、当地を去るにあたり下関(しもせき)村肝煎(きもいり)に与えたものといわれる。