ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 分類でさがす > 市政 > 教育 > 芸術文化 > 湯沢市の文化財 > 有形文化財 > 工芸 > 火縄銃二挺及び付属品一式
<外部リンク>

本文

火縄銃二挺及び付属品一式

印刷用ページを表示する 更新日:2020年9月25日更新

火縄銃二挺及び付属品一式の写真

よみがな

 ひなわじゅうにちょうおよびふぞくひんいっしき

指定/種別

 市指定/工芸

指定年月日

 昭和51年5月7日

所在地

 湯沢市内町

所有者

 個人

時代・年代

 江戸時代

概要

  • 火縄式銃砲1. 長さ106.2センチメートル 口径1.5センチメートル
  • 火縄式銃砲2. 長さ48.5センチメートル 口径1.1センチメートル

 銃口から火薬と弾薬を入れ、火縄による点火によって弾丸が飛び出す形式の銃である。「柴辻理右衛門(しばつじりえもん)」の銘があり、芝辻理右衛門は、江戸時代前期の堺の鉄砲鍛冶で、日本最初の火縄銃の製作者といわれる妙西(みょうさい)の孫である。その他、火縄やアワビの貝殻で拵(こしら)えた火薬入れ、弾丸筒なども残されている。
 寛政(かんせい)年間(1789~1801)以降、南下政策を強力に進めるロシアを警戒し、幕府は東北諸藩に警備を目的とした出兵を命じた。安政(あんせい)三年(1856)には湯沢の足軽35人が増毛(ましげ)の、翌年には湯沢給人53人が宗谷の警備についた。
 これらの火縄銃他一式は、安政四年(1857)、鉄砲頭(てっぽうがしら)として派兵された斉藤佐太夫(さいとうさだゆう)が携行したものである。その道中や警備の模様などが『松前蝦夷地御固勤番日記』ほかに記録されている。