本文
かなどうろう
2基
市指定/工芸
昭和59年3月13日
湯沢市院内銀山町字上本町40番地
金山神社
江戸時代 天保三年(1832)
総高229センチメートル
この金燈篭は左右一対で、天保(てんぽう)六年(1835)秋田藩十代藩主佐竹義厚(さたけよしひろ)が奉納したものである。
笠には佐竹宗家の五本骨扇紋(ごほんぼねおうぎもん)が、台座には、「天保三年歳在壬辰(みずのえたつ)冬十二月於羽州秋田八橋村作江戸御鋳物師土橋兵部藤清定」の銘がある。『門屋養安(かどやようあん)日記』にも、「天保六年六月十日に屋形様から金燈籠御対奉納された」と記されている。
長く衰退していた院内銀山も文政(ぶんせい)年間(1818~30)後半から好転のきざしが見えはじめ、天保四年(1833)からの11年間は年間1千貫(3,750キログラム)を超える産銀量が続いたことから「天保の盛り山」と称された。藩主はこの状況を賞せられ金燈篭を奉納したと伝えられる。