本文
たかだんいなりしゅうふくねがいがき
1点
市指定/古文書
昭和58年4月15日
湯沢市三梨町字京政
個人
江戸時代 天保二年(1831)
縦16センチメートル 長さ140センチメートル
この文書は、天保(てんぽう)二年(1831)二月十七日に提出された高段稲荷神社御堂修復願いの草稿である。
高段稲荷神社は京政村の南端にあり、麻生与惣右衛門(あそうよそうえもん)が堰開削の折にこの神社に祈願したところ心願が叶って成就したと伝えられる。『願書』には、神社の修復を図るにあたり、資金確保のため縫い針販売の許可を求めるという内容が記されている。
与惣右衛門堰は、稲庭朝月山(あさづきやま)の麓から岩城(いわき)、飯田(いいだ)などの各集落を通り、寺下谷地(てらしたやち)までの全長6キロメートル、耕地面積80haを潤す農業用水路であり、元禄(げんろく)四年(1691)から12年の歳月をかけて元禄十五年(1702)に完成した。