本文
縄文時代中期末葉の深鉢型土器
(下院内字下馬場出土)
縄文時代後期後半の注口土器
(山田字中屋敷出土)
右縄文時代中期の土偶頭部(三梨町字御嶽堂出土)
左縄文時代晩期後半の岩偶頭部(須川出土)
縄文時代晩期初頭の独鈷石(上院内字長倉出土)
やましたまごつぐちょうさのいぶつ
市指定/考古資料
昭和42年5月30日
湯沢市高松字上地6番地2 湯沢市郷土学習資料展示施設
湯沢市
縄文時代~平安時代
これらの遺物は、日本考古学協会会員であった故山下孫継氏が、湯沢北高等学校(現湯沢翔北高等学校)と湯沢高等学校在職中に発掘及び表面採集したもので、山田地区の中屋敷(なかやしき)遺跡や川連町久保(かわつらちょうくぼ)の欠上(かけあが)り遺跡など湯沢市雄勝郡内から出土した石器や土器等である。
山下孫継は、明治42年(1909)香川県琴平町(ことひらちょう)に生まれた。昭和8年(1933)早稲田大学を卒業後、昭和25年(1950)秋田県公立学校教諭となり、湯沢北高等学校に赴任。昭和26~27年(1951~52)に行われた特別史跡大湯環状列石の発掘調査への参加を機に考古学に傾倒する。
県南部の高校生を指導しながら、国指定史跡となった岩井堂洞窟を8次にわたって発掘調査し、報告書をまとめるなど、当地の考古学研究に大きな影響を与えた。