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元亨二年碑
嘉暦二年碑
たかまつちょうれんじあとのいたび
2基
市指定/考古資料
昭和41年6月3日
湯沢市高松字上地22番地
上地集落
鎌倉時代
元亨二年(1322)碑 高さ258センチメートル 幅171センチメートル 安山岩
嘉暦二年(1327)碑 高さ234センチメートル 幅150センチメートル 安山岩
この2基の板碑は、天台宗寺院の長蓮寺跡と伝えられる高松字上地(うわじ)の墓地内に立つ。
元亨(げんこう)二年碑は双式碑で、上部右側にバン(金剛界大日如来)とアーンク(胎蔵界大日如来)を、左側にはバン(金剛界大日如来)とキリーク(阿弥陀如来)の各2尊ずつを刻し、下に阿弥陀三尊を横に配している。双式碑としては県内最大最古のものである。
嘉暦(かりゃく)二年碑は、上部に金剛界五仏を配した石造梵字曼荼羅(せきぞうぼんじまんだら)で、同様の板碑としては県内最古である。
2基ともに種子の下に銘文があるものの、風化が進み紀年のほかは判読が困難である。
菅江真澄(すがえますみ)の『雪の出羽路(いでわじ)』には、この2基の板碑のことと、周辺から仏具や石器などが出土すると記されている。
板碑とは、仏像を安置して供養する代わりに建てられた石塔婆(いしとうば)で、死者の菩提(ぼだい)を弔うため、または願主自身が生前に死後の法要を営む逆修(ぎゃくしゅ)のための造立が多く、鎌倉時代から室町時代にかけて流行する中世特有の宗教資料である。
中世資料の少ない本市において、当時の宗教事情や交通事情を知るうえで貴重な資料である。