本文
表
裏
かわむかいはたとうむらさかいえず
1鋪
市指定/歴史資料
平成29年2月6日
湯沢市佐竹町1番1号
湯沢市
江戸時代 元文三年(1738)
縦53センチメートル 横162センチメートル 紙本著色
この絵図は、元文(げんぶん)三年(1738)に描かれた現皆瀬地域の川向村、畠等村の村境を示したものである。
両村を貫流する皆瀬川と水系を描き、両村の境界を朱引きし、川向村分は緑色、畠等村分は黄色に色分けしている。
裏書があり、「川向村と畠等村は古来一郷であり、川向村の肝煎(きもいり)が畠等村も治めてきたこと。川向村から畠等村が分村したことにより、両村の土地が入り組み村境が不明瞭となったので検地高を改めたいと両村より申し出があり、検使を派遣して調査し境界を定めたこと。元文元年(1736)十一月二十二日に、秋田藩家老宇都宮帯刀(うつのみやたてわき)、今宮大学(いまみやだいがく)、多賀谷左兵衛(たがやさひょうえ)、小田野斎(おだのいつき)らが協議のうえ決定したこと」などが記され、検使国安只之助(くにやすただのすけ)、杉山六之丞(すぎやまろくのじょう)、丹仁右衛門(たんにえもん)、関五郎左衛門(せきごろうざえもん)、大山文右衛門(おおやまぶんえもん)、大越甚右衛門(おおごしじんえもん)、秋山喜右衛門(あきやまきえもん)の7名の署名がある。