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松岡銀山絵図

印刷用ページを表示する 更新日:2020年9月25日更新

松岡銀山絵図の写真

よみがな

 まつおかぎんざんえず

員数

 1枚

指定/種別

 市指定/歴史資料

指定年月日

 平成29年2月6日

所在地

 湯沢市佐竹町1番1号

所有者

 湯沢市

時代・年代

 江戸時代

概要

 縦94センチメートル 横100センチメートル 紙本著色

 この絵図は、山田地区松岡の白山(はくさん)の北東斜面に位置する松岡銀山を描いたものである。
 絵図には、番所が上下二ヶ所と御札場、御台所、銀焼釜、銀床屋、鉛床屋、金場(洗鉱場)を描く。白山平の辰巳(たつみ)(南東)の方向より権現平の戌亥(いぬい)(北西)の方向に走る砒(ひ)(鉱脈)8本を朱書きする。また、仙寿院鋪(しき)、矢八大切鋪、古釜ノ口、仙代鋪、古仙代鋪、東右衛門鋪、惣左衛門鋪、古鋪2つの計9つの鋪(坑道)の位置も正確に示す。左下に、「平野寿栄手控」と記されているが、人物は特定できない。
 松岡銀山は、慶長(けいちょう)年間に発見され、元和(げんな)から寛文(かんぶん)年間(1615~1673)までが最盛期であったといわれる。延宝(えんぽう)元年(1673)、三浦久右衛門(みうらきゅうえもん)によって操業されて以来請山となるが、寛政(かんせい)から文政(ぶんせい)年間(1789~1830)にも大いに繁盛し、特に文化(ぶんか)五年(1808)には良質の鉱脈がみつかり、このときに産出された銀は、「湯沢銀」として知られ、掘り子(坑夫)200人余、長屋9軒あったと記録されている。
 明治以降、休坑、再坑を繰り返しながら、昭和21年(1946)に休山となる。