本文
かわらげいおうざんのせいさつ
1枚
市指定/歴史資料
昭和39年3月26日
湯沢市字内舘町
個人
江戸時代 文久四年(1864)
高さ36センチメートル 幅87.5センチメートル
この制札は、文久(ぶんきゅう)四年(1864)に交付された定書で、硫黄山に入山する者に対しての七カ条の掟を墨書し、郡(こおり)奉行信太理兵衛(しだりへえ)はじめ6人の奉行の氏名と花押(かおう)が記されている。
入山者の火気を取り締まるため、文久三年(1863)十一月、腐朽した制札の再発行を、当時の経営者である富屋松之助(とみやまつのすけ)が藩に願い出、翌年(1864)正月に交付された。その後、箇条の中に1字加わることとなり、この制札は山中に掲げられることなく保管され今に伝わる。
川原毛硫黄山は、元和(げんな)九年(1623)、久保田町の商人によって採掘が始まり、その後、経営者の変遷をたどりながら昭和41年(1966)に閉山するまで約340年間続いた。硫黄という性質上、幾度となく火災が発生し、記録に残る大火は6回あり、その都度周辺住民を脅かした。