本文
れいたくしゃきょうしのぼひ
2基
市指定/歴史資料
昭和46年3月15日
湯沢市大町一丁目3番56号
安乗寺
明治時代
この墓碑は、明治時代に旧湯沢町に開設された秋田県初の英学塾「麗沢舎」の教師、門田友太郎と下野弁三(しものべんぞう)のものである。
麗沢舎は、自由民権運動高まる中、若者達の発意によって明治15年(1882)に開塾(一説に明治17年)され、同21年(1888)まで継続された英学塾である。「麗沢」には、友人が互いに助け合いながら学ぶという意味がある。
塾舎は、田町の後藤伊八(ごとういはち)家別荘と大町の安乗寺(あんじょうじ)におかれた。塾では、英国式の憲法、法律、議会政治等を学び、さらに世界の大勢や東洋の平和についても論及している。
最初の教師は愛媛県宇和島出身の西河通徹(にしかわつうてつ)(1856~1927)である。若くして旧制松山中学校の校長を務め、まもなく新聞界に転じ、明治17年(1884)に「秋田日報」の論説として来県し、2年間の在任期間、麗沢舎の教師として塾生を指導した。明治18年(1885)には西河の後任として高知県出身の門田友太郎を招へいするも翌19年(1886)5月、24歳で病没する。翌20年(1887)、東京府神田出身の下野弁三を招へいするも、翌21年(1888)12月、29歳で病没する。下野の死をもって塾は閉じられる。
麗沢舎からは、明治23年(1890)、第1回衆議院議院選挙で代議士となった武石敬治(たけいしけいじ)(1858~1904)をはじめとする政治家や実業家など多くの優れた人材を輩出した。