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与惣右衛門堰疏水碑

印刷用ページを表示する 更新日:2020年9月25日更新

与惣右衛門堰疏水碑の写真

堰開削の最大の難所 蛇の崎の「大岩」の写真
堰開削の最大の難所 蛇の崎の「大岩」

よみがな

よそうえもんぜきそすいひ

員数

1基

指定/種別

市指定/歴史資料

指定年月日

昭和58年4月15日

所在地

湯沢市三梨町字京政

所有者

京政集落

時代・年代

明治41年(1908)

概要

高さ170センチメートル 幅126センチメートル

 この石碑は、三梨町京政(きょうまさ)集落の南端の堰筋に立ち、この堰を開削した麻生(あそう)与惣右衛門と、明治27年(1894)の大洪水の被害対策に努力した先人の功績などを伝えるための記念碑である。篆額(てんがく)は佐竹南家(さたけみなみけ)十七代佐竹義雄(よしお)による。
 与惣右衛門堰は、稲庭朝月山(あさづきやま)の麓から岩城(いわき)、飯田(いいだ)などの各集落を通り、寺下谷地(てらしたやち)までの全長6キロメートル、耕地面積80haを潤す農業用水路である。京政村の肝煎(きもいり)であった与惣右衛門が、慶安(けいあん)三年(1650)に寺下谷地の開発を藩に注進したことに始まり、元禄(げんろく)四年(1691)、堰筋の開削に着手し、苦難と戦いながら12年の歳月をかけ元禄十五年(1702)に完成させた。

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