本文
いなにわうどんごようはんぎ
5点
市指定/歴史資料
昭和58年4月15日
湯沢市稲庭町字小沢
個人
江戸時代
縦35.4センチメートル 横8.5センチメートルほか
稲庭うどんを創業したと伝えられている佐藤市兵衛(さとういちべえ)の子孫長太郎(ちょうたろう)家に伝わる版木である。右から蕎麦麺(そばめん)、かたくり麺、粟索麺(あわそうめん)、干温飩(ほしうどん)、蕎麦麺(裏面には「百合(ゆり)麺」)の文字が刻まれている。
文化(ぶんか)十一年(1814)、この地を訪れた菅江真澄(すがえますみ)は『雪の出羽路(いでわじ)』の小沢(こざわ)村の項に「御用、粟索麺、また小豆(あずき)索麺、百合麺、かたくりを、もても、索麺を索(な)うやどあり、佐藤長太郎という」と記している。
また、佐藤清司(せいじ)著『稲庭古今事蹟誌(いなにわここんじせきし)』(市指定有形文化財)の中では、「稲庭干温飩の製造は、小沢の佐藤市兵衛家に始まり、元禄(げんろく)三年(1690)、藩主御用を賜ったこと、その子孫長治右衛門(ちょうじえもん)、長太郎が跡を継いだものの、その後廃業。同時期に佐藤吉左衛門(きちざえもん)が干温飩製造業を興した」と記している。