本文
いわさきはんしゅさたけよしさとしょ あいじつろ
1幅
市指定/歴史資料
昭和58年4月15日
湯沢市川連町字大水口
個人
明治4年(1871)
縦30センチメートル 横62センチメートル
この書は、岩崎藩知事佐竹義理が、歌人であり孝婦として知られていた後藤逸女(ごとういつじょ)を称えて揮毫(きごう)したものである。義理の書の下には、岩崎藩儒員(じゅいん)である渡政興(わたりまさおき)の解説文がある。
明治3年(1870)3月、雄勝郡の内35村、高2万石を分割して岩崎藩が成立した。初代藩知事となった佐竹壱岐守家義ずま(いきのかみけよしずま)は同年4月に逝去し、13歳の義理が跡を継ぎ藩知事となった。翌4年(1871)4月、着任した義理は、領内巡視の際に逸女を訪ねその生活に感動し、家族一同に五合ずつ扶持を与えることにし、自ら「愛日廬」(日を惜しんで親に孝養を尽す庵(家)の意)の額を書いて励ました。