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岩崎藩主佐竹義理書「愛日廬」

印刷用ページを表示する 更新日:2020年9月25日更新

岩崎藩主佐竹義理書「愛日廬」の写真

よみがな

 いわさきはんしゅさたけよしさとしょ あいじつろ

員数

 1幅

指定/種別

 市指定/歴史資料

指定年月日

 昭和58年4月15日

所在地

 湯沢市川連町字大水口

所有者

 個人

時代・年代

 明治4年(1871)

概要

 縦30センチメートル 横62センチメートル

 この書は、岩崎藩知事佐竹義理が、歌人であり孝婦として知られていた後藤逸女(ごとういつじょ)を称えて揮毫(きごう)したものである。義理の書の下には、岩崎藩儒員(じゅいん)である渡政興(わたりまさおき)の解説文がある。
 明治3年(1870)3月、雄勝郡の内35村、高2万石を分割して岩崎藩が成立した。初代藩知事となった佐竹壱岐守家義ずま(いきのかみけよしずま)は同年4月に逝去し、13歳の義理が跡を継ぎ藩知事となった。翌4年(1871)4月、着任した義理は、領内巡視の際に逸女を訪ねその生活に感動し、家族一同に五合ずつ扶持を与えることにし、自ら「愛日廬」(日を惜しんで親に孝養を尽す庵(家)の意)の額を書いて励ました。