本文
中列2基
やくないおわりのかみのぼひ
2基
市指定/歴史資料
昭和62年4月10日
湯沢市秋ノ宮字内城地内
役内町内会
この墓碑は、秋ノ宮字内城(うちじょう)の集落墓地の一角に立ち、八口内尾張守のものと伝えられる。2基とも角柱で五輪塔板碑の形式に見える。一部梵字(ぼんじ)が確認できるものの、1基は上部が欠損し側面も風化が進み判読が困難である。
八口内氏は、鎌倉時代から戦国時代にかけて県南部を勢力下においた小野寺(おのでら)氏の家臣で、秋ノ宮役内(やくない)を支配した村落領主である。
『語伝仙北之次第』、『奥羽永慶軍記』には、八口内尾張守が天正(てんしょう)十四年(1586)の有屋(ありや)峠の戦いに先手として出陣したことや、文禄(ぶんろく)二年(1593)の最上勢の進攻で討死したことなどの記述がある。
この墓地から800mほど南に、文禄二年(1593)落城した八口内城がある。八口内城は、東には鬼頭(おにこうべ)峠に、西には金山(かねやま)に向かう山道があり、軍事的に重要な位置であった。