本文
やくさやすじのはた
8旈(りゅう)
市指定/歴史資料
昭和50年4月5日
湯沢市八幡字古館90番地
八幡集落
江戸時代
この旗は、了翁(りょうおう)禅師(1630~1707)が輪王寺宮(りんのうじのみや)から賜り、元禄(げんろく)二年(1689)、郷里の八幡(はちまん)神社に浄財を寄進して神社を再興した時、赤地金襴御戸帳(あかじきんらんおとちょう)、半鐘とともに奉納したと伝えられる。菊の紋章が入っており、草木染に白抜きのものが5点、黒の紋章入りが3点である。
了翁禅師は、八幡(やわた)村出身の黄檗宗(おうばくしゅう)の僧侶である。10代半ばから全国の寺社で厳しい修行を重ね、25歳の時には渡来した明の高僧隠元(いんげん)禅師の弟子となり求道に励む。35歳の時に製造を始めた霊薬「錦袋円(きんたいえん)」が大いに売れ、その収益はすべて全国各地の寺院に寄進する大蔵経や書籍の購入、寺院の改修、社会奉仕に費やした。
貞享(じょうきょう)元年(1684)には、東叡山寛永寺(かんえいじ)に勧学講院を設立し講堂、経堂、文庫などを築き、国内外の典籍約3万巻を寄進する。こうした功により輪王寺宮から勧学院権大都法印に任命された。
宝永(ほうえい)四年(1707)五月二十二日、京都萬福寺(まんぷくじ)の自得院(じとくいん)にて78歳で没した。