本文
ちかまつえいわひつ いんないぎんざんしきおかりゃくえず
1幅
市指定/歴史資料
平成29年2月6日
湯沢市佐竹町1番1号
湯沢市
江戸時代 元治元年(1864)
縦92cm 横102.5cm 紙本著色
この絵図は、元治(げんじ)元年(1864)四月の院内銀山鉱内の様子を描いたものである(以下「元治版」という。)。画面上部3分の1ほどに地上、その下3分の2に坑道の様子を描いている。また、安政(あんせい)三年(1856)、秋田藩鉱山奉行の大貫忠誨(おおぬきただのり)による同様の「院内銀山鋪岡略絵図」(秋田大学鉱業博物館所蔵。以下「安政版」という。)があり、比較すると、構図は安政版を踏襲しつつ、鉱夫の描写は簡素に、一方、坑道の進捗状況や鉱内の様子、地上の建造物の名称、集落の描写などに重点をおいている。
絵図左端に、「応大野公命 雪月斎法橋(せつげつさいほうきょう)写并記」とあり、近松永和(遠藤昌益(えんどうしょうえき))が当時、院内銀山の御詰合(銅山方吟味役)であった大野惣四郎(おおのそうしろう)から依頼され、描いたものである。