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まがい
県指定/史跡
昭和34年1月7日
湯沢市横堀字板橋40番地
熊野神社
鎌倉時代
高さ6.6m 幅4.8m 角閃安山岩
この磨崖は、角閃安山岩の岩壁を整えて上部を舟形光背状にし、左右に二組の種子(しゅじ)(梵字(ぼんじ))・蓮座・銘文を刻む双式碑の形式をとっている。種子はキリーク(阿弥陀如来)、サ(観音菩薩(ぼさつ))、サク(勢至菩薩)の阿弥陀三尊で蓮の花弁を刻んだ蓮座にのっている。その下に銘文があり、これによれば元享(げんこう)二年(1322)五月、浄戒尼(じょうかいに)ら2人の願主によって死後の逆修(ぎゃくしゅ)供養のために営まれたものである。
磨崖は、岩壁や大石の表面を整形し、仏像や種子を彫ったもので、死者の追善や生者(しょうじゃ)死後の逆修供養のために営まれたものであり、磨崖仏、磨崖石塔、磨崖碑などと呼ばれる。
磨崖としては、造営年代がわかる県内最古のものであり、仏教文化の伝播を知るうえで貴重な遺跡である。