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いちりづか
市指定/史跡
昭和39年3月26日
湯沢市湯ノ原一丁目417番1外
個人
江戸時代
この一里塚は、羽州(うしゅう)街道を横断して日本海側から太平洋側へ通じる本荘・小安(おやす)街道と称する脇街道に築かれたものである。
この街道は、羽州街道柳町交差点から西を本荘街道、東を小安街道と呼ばれ、これより東は旧山谷峠に、西は幡野(駐在所跡付近)に一里塚が築かれていた。
もとは道を挟んで両側に塚が相対していたことが正保(しょうほう)四年(1647)の『出羽一国御絵図(でわいっこくおんえず)』にも示されている。国道398号の道路改良工事のため、塚及び根の一部が削られてしまったが、街道の南側には現在も、樹高11.6m、樹齢約370年の頑丈なケヤキ(槻木)が立っている。