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金銀鍍宝相華文経筒
京都国立博物館所蔵
松岡経塚 銅板製経筒
寿永三年銘 京都国立博物館所蔵
金銀鍍宝相華文経筒
京都国立博物館所蔵
まつおかきょうづかいせき
市指定/史跡
昭和55年2月25日
湯沢市松岡字聖ケ沢
個人
平安時代末期~鎌倉時代初期
この遺跡は、山田地区松岡の白山(はくさん)(標高288.7m)の南東裾、舌状に張り出す標高約150mの丘陵の突端部にある。東西5.7m、南北4.5mの楕円形を呈している。
昭和29年(1954)4月に発見され、5月に発掘調査が行われた。塚内からは、寿永(じゅえい)三年(1184)銘銅製経筒、建久(けんきゅう)七年(1196)銘銅製経筒残欠、銅製経筒残欠、鍍金唐草文魚子地(ときんからくさもんななこじ)経筒、土師器壺(はじきつぼ)、須恵器甕(すえきかめ)残欠、片口鉢残片、洪武通宝(こうぶつうほう)1枚、鉄製刀子(とうす)残片3点が出土した(現在は京都国立博物館所蔵)。建久七年銘の経筒には「藤原女人」の文字が刻まれている。
この経塚の南側の沢には十二坊の遺跡があり、山尾根を100mほど登ったところにある白山神社には平安時代作の一木造の女神像(県指定有形文化財)が祀(まつ)られている。
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、経塚を築き経筒を埋納できる権力層がこの地に存在したことを示す遺構である。