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昭和33年当時の大切坑
写真提供 渡部和男氏
おおぎりそすいどうとおのだてしょあと
市指定/史跡
昭和59年3月13日
湯沢市院内銀山町
立石林業株式会社
大切疎水道は、宝永(ほうえい)四年(1707)、普請(ふしん)奉行赤石助右衛門(あかしすけえもん)らによって銀山鉱床水抜きのために切り開かれ、五番坑(のちの御幸坑(みゆきこう))までの全長1,644mの道程を4年の歳月を要して完成した。銀山の操業は水との戦いであったといわれ、元治(げんじ)元年(1864)の『院内銀山鋪岡(しきおか)略絵図』(市指定有形文化財)には、多くの水抜鉱夫が坑内で働いている姿が描かれている。
明治初期の工部省管轄時代には、外国人技師の指導により、この疎水道にレールを敷き鉱石運搬道として利用するようになった。明治14年(1881)、明治天皇の東北御巡幸による院内銀山御立ち寄りの際、最初にご覧になられたのが、この近代化の状況で、ここに小休憩所が設けられた。