ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
<外部リンク>

本文

鉱山分局跡

印刷用ページを表示する 更新日:2020年9月25日更新

院内銀山分局跡の写真

よみがな

こうざんぶんきょくあと

指定/種別

市指定/史跡

指定年月日

昭和59年3月13日

所在地

湯沢市院内銀山町

所有者

立石林業株式会社

概要

 鉱山分局跡は、御幸坑(みゆきこう)の西南西約200mに位置し、江戸時代、産銀の収納所並びに山方役人の詰所で、御台所と呼ばれ、長さ7間(12.5m)通しの用材を使用した銀山一の大建造物であった。
 明治8年(1875)に院内銀山は明治政府直営鉱山となり、翌9年(1876)には工部卿(こうぶきょう)伊藤博文(いとうひろぶみ)が視察に訪れている。同年、工部省直営となり、鉱山寮院内支庁(のちの院内鉱山分局)が旧御台所に開設され、政府派遣役員の事務所として使用された。同17年(1884)、分局は銀山町字十分一(じゅうぶいち)の異人館に移されるが、同18年(1885)1月、古河市兵衛(ふるかわいちべえ)に払い下げになったことにより廃止された。
 建物は大正14年(1925)に解体され、鹿角の不老倉鉱山に移された。

関連情報