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さいこうじあと
市指定/史跡
昭和59年3月13日
湯沢市院内銀山町
院内山西光寺は、正楽寺(しょうらくじ)と同じく院内銀山初期建立の寺院の一つで、京から迎えた二世欣求(ごんぐ)和尚によって大きな寺に立て替えられ、阿弥陀如来像を本尊として安置した。その後、17世紀半ばに本堂が火災により焼失するも、本尊は台座、光背とともに搬出されたことが『院内銀山記』に記されている。大正末期に廃寺となり、本尊は早い時期に銀山町から院内馬場に移った東安山誓願寺(せいがんじ)に移された。
境内墓地には、「天保の盛り山」と呼ばれた時期の功労者である支配人山崎権六(やまざきごんろく)、村木六郎兵衛(むらきろくろうべえ)、重手代杉田久吉(すぎたきゅうきち)の墓がある。