本文
いんないばんしょあと
市指定/史跡
昭和59年3月13日
湯沢市上院内字荒町
湯沢市
江戸時代
慶長(けいちょう)七年(1602)、常陸国(ひたちのくに)から秋田に国替えとなった佐竹義宣(さたけよしのぶ)は、翌八年(1603)、これまでの有屋(ありや)峠を廃し、院内杉峠を開いて羽州(うしゅう)街道の整備を進めた。
慶長十三年(1608)、院内城代箭田野義正(やだのよしまさ)によって番所が設けられ、主として浪人等の取り締まりと院内銀山の警備を行なった。延宝(えんぽう)八年(1680)、箭田野氏に代わって大山義武(おおやまよしたけ)が院内の所預(ところあずかり)となり、組下・足軽をもって昼夜交代で往来人を改めた。
近世の関所は江戸幕府により設置された関所施設をいうが、秋田藩では主要な番所を関所と呼んでいた。寛政(かんせい)四年(1792)、公儀の関所以外はすべて「境目口留番所」とするよう通達があり、以後関所呼称をやめている。
現在の門は後世の複製で、もとは、現在地より南に20mほど離れた上院内踏切の辺りにあった。