ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
<外部リンク>

本文

院内所預大山家墓所

印刷用ページを表示する 更新日:2020年9月25日更新

院内所預大山家墓所の写真

配置図

よみがな

いんないところあずかりおおやまけぼしょ

指定/種別

市指定/史跡

指定年月日

平成15年11月26日

所在地

湯沢市上院内字小沢63番地

管理者

信翁院

概要

 この墓所は、上院内の信翁院(しんのういん)墓地にあり、大山家十一代から十六代までと、その夫人の墓碑が並ぶ。
 大山氏は常陸(ひたち)佐竹(さたけ)氏十代義篤(よしあつ)四男義孝(よしたか)に始まり、常陸国大山村孫根城(まごねじょう)に住し大山氏を名乗った。九代義則(よしのり)は、佐竹義宣(よしのぶ)の秋田転封にともない角館(かくのだて)に置かれた。延宝(えんぽう)八年(1680)十一代義武(よしたけ)が院内所預となり、以後十九代義臣(よしおみ)まで続き明治に至る。寛政(かんせい)十二年(1800)の『久保田領郡邑記(くぼたりょうぐんゆうき)』には、「知行高六百五十石、家士三十五人、組下給士四十八人、足軽三十人」と記されている。所預として院内の番所の任にあたり、戊辰(ぼしん)戦争では藩境の防御にあたった。
 秋田藩九代藩主義和(よしまさ)の代に、藩士やその子弟の教育のため、領内10ヵ所に藩校の分校である郷校が設けられ、寛政五年(1793)に院内郷校「尚徳(しょうとく)書院」が創立された。『久保田領郡邑記』の著者近藤甫寛(こんどうほかん)(1735~1809)は郷校の教授であった。

関連情報