本文
ゆざわこじょうのず
1鋪
市指定/歴史資料
令和5年3月2日
湯沢市内町
個人
明治24年(1891)
縦105センチメートル 横117センチメートル 紙本著色
この絵図は、天保十年(1839)に佐藤平右衛門(へいえもん)によって描かれた、湯沢城とその周辺を示した絵図の書き写しである。(以下「本資料」という。)
湯沢城の本丸や二の丸、堀切などの山城の地形が間数とともに示されており、平場は薄く、斜面は濃い色を塗ることで起伏が表現されている。曲輪を結ぶ階段には黄色が塗られ、また清凉寺付近から登るつづら折りの道(通称 七曲り)は橙色が塗られている。そのほか、城下の寺や神社、給人町、湯沢大堰(水路)など、天保期の湯沢城下の様子も描かれ、各家には武士の名前が記されている。
佐藤平右衛門は数年かけて湯沢城を測量し、絵図を完成させた。その後、明治24年(1891)に芳賀勝縁(かつよし)が、原本に虫害があったことから本資料を作製したことが添書から読み取れる。また、原本に附属していた、芳賀勝斯(かつのり)(勝縁の祖父)が記した佐藤平右衛門への賛辞を本資料の左上部に書き写しており、その内容からは城跡で畑作が行われていたことが読み取れる。
本資料は、写しではあるが、天保期における湯沢城下のまちなみとともに、城郭が立体的に把握できるなど、市にとって貴重な資料である。